生まれはいいが育ちは悪い麻生氏
2007年9月15日
宇佐美 保
私は、安倍首相の辞任劇のゴタゴタ騒ぎに呆れ果ててしまいました。
それに伴って、麻生太郎氏が首相になることに恐怖を感じました。
『安倍乱心辞任!「麻生&与謝野クーデター」のこれが内幕だ』の記事を読もうと『週刊ポスト:2007.9.28号』を購入して、ページを繰りましたら、麻生太郎氏の顔がアップされたカラーページに遭遇してしまいました。
そんなページは飛ばしてしまおうと思ったとたんに、
“麻生氏の口癖は「生まれはいいが、育ちは悪い」” |
との大きな文字が眼に飛び込んで来て、なんだこの人!と憤慨し、直ちにこの拙文(とても短いのですが)を書き始めました。
何故、麻生氏の生まれが良いのですか!?
数代、国会議員を輩出しただけで、その家の子供は生まれが良いことになるのでしょうか!?
それに、麻生家は、炭鉱事業で財を成したのではありませんか!?
当時の炭鉱事業は多くの恵まれない方々を酷使することで繁栄してきたのではありませんか!?
多くの方々の犠牲の下で財を成した家系がよい家系でしょうか!?
(犠牲になった方々へ、その御遺族族への償いはされたのでしょうか!?)
それよりも何よりも、『日本国憲法第十四条』には、法の下の平等を次のように謳っています。
すべて国民は、法の下に平等であって、 人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、 政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 |
なのに、国会議員で、次期の首相を狙おうと画策している麻生氏は、社会的弱者への各種の差別発言を吐き出しています。
特に、差別部落出身の野中広務氏に対しても許しがたい差別発言をしています。
『野中広務 差別と権力』(魚住照著:講談社発行)から、その部分を引用させて頂きます。
(更には、拙文《野中広務氏への麻生氏の差別》に引用させて頂きました)
二〇〇三年九月二十一日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約三十人が座っていた。・・・ 堀内の目の前に座っていた野中が、「総務会長!」 と甲高い声を上げたのはそのときだった。 立ち上がった野中は、「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます」 と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。 |
私は、野中広務氏には首相になって貰いたいとすら思い、逆に、麻生氏には絶対に首相になって貰いたくないと今も思い続けています。
国会議員こそが、「すべて国民は、法の下に平等」の憲法の精神を尊重し「生まれのよさ」を云々すべきではない筈です。
一方「育ちのよさ」は、各自の努力で獲得できます。
そして、その結果、素敵な社会が創出されるのです。
麻生氏は『トンデモナイ日本』とかを著述して、その中で、日本の世界に誇るべき技術などを紹介しているそうですが、それらの技術等は各自の努力で獲得された「育ちのよさ」の成果ではありませんか!?
麻生氏ご自身は「育ちのよさ」を獲得する努力をせず、「生まれの良さ」による財力にて「育ちのよさ」の成果をもぎ取っているのです。
こんな麻生氏に首相になんてなって貰いたくはありません!
(但し、先の安倍氏の『美しい国へ』を購入してこりましたので、『トンデモナイ日本』とやらは買ってもいませんし、一行も読んでもいません。)
(補足)
私が、奇異に感じるのは、麻生氏が “生まれはいいが、育ちは悪い” 口癖で言うのを傍で聞いている人達は、何故彼に注意しないのでしょうか?!
(麻生氏は、一般人ではないのです、責任ある公僕です!)
更に驚くのは、この発言を繰り返す麻生氏をヨイショする人がいるということです。
先の拙文《麻生太郎氏をヨイショする福田和也氏》にも掲げましたが、再度、文芸評論家の福田和也氏のヨイショ振りを『週刊現代(2007.1.20号)』〈べらんめえ調の「美しい国」も見てみたい〉で、麻生太郎氏をしきりにヨイショしている部分も掲げさせて頂きます。
先ず、福田氏の記述の題目にある“べらんめえ調”(“べらんめえ口調”)とは、辞書を引くまでも無いのですが、『日本国語大辞典:小学館』には、次のように記述されています。
江戸の下町で、職人などの間で用いられた、巻き舌で荒っぽく威勢のいい口調。
そして、「江戸の下町で、職人など」である、「えどっこ」に関しては次のようです。
えどっこ【江戸子・江戸児】
江戸で生まれ育ったきっすいの江戸の人。おもに町人にいい、物事にこだわらず、意地と張りに生きる侠気を誇った反面、短気で軽率だといわれた。東京生まれの人にも使う。
確かに、麻生太郎氏は「短気で軽率」であるようですが、“べらんめえ調”の江戸っ子には、なんと言っても「侠気」が不可欠なのです。
「侠気」とは、強きをくじき、弱きを助けです!
お上(体制)に歯向かうのが江戸っ子の真骨頂です。
でも、麻生太郎氏は、体制の中心的人物です。
それとも、次の記述を見ますと、麻生太郎氏を、『遠山の金さん』の遠山景元とでも錯覚しているのでしょうか?
生まれは超一流なのに、べらんめえ口調で、ガラが悪い──という麻生太郎外務大臣(66歳)が、私はかなり好きです。 超一流、というのは2世、3世議員がゴロゴロしている今の政界でも、別格だということ。岸信介の孫、安倍晋太郎の息子、というのが安倍晋三総理(52歳)の看板ですが、麻生氏の場合、格が違う。 明治政府の実質的設計者である、大久保利通の玄孫、つまり5代目。昭和天皇にもっとも信用された側近牧野伸顕の曾孫で、その筋だった吉田茂が祖父という、華麗すぎる出自。岳父が元首相の鈴木善幸だとか、妹が三笠宮に嫁いでいるとかの話柄はいくらでもある。 もかかわらず、ガラが悪い、と世間ではみられている。 これが素晴らしい。 |
しかし、福田氏が掲げたこの家系は、麻生太郎氏の母方の家系ではありませんか?
最近、「天皇は男系であるべき」との声を挙げている方が居られますが、麻生太郎氏の父方は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように記されています。
江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は吉田茂の資金源となった。 |
従って、「大勢の犠牲的労働の上に形成できた財」が無ければ、福田氏が賞賛してやまない麻生氏の母方の家系は今とは当然異なっていたはずです。
若し、麻生氏の言う「生まれ」に差別があるとしたら、「大勢の犠牲的労働の上に成り立っている麻生氏の生まれ」を食いつぶして麻生氏は生きている事になります。
ですから、大勢の犠牲が無ければ、麻生氏は「生まれも育ちも悪い」を口癖で吐かなければなりません。
そんな麻生氏はどうやって生きてゆくのですか!?
そして、生まれに差があるとしたら、私は、「村の庄屋」や「大富豪」の方々よりも、「貧しかろうが、代々一生懸命農業に勤しんできた家」や、「金持ちに酷使され、貧しかろうが、一生懸命生き抜いてこられた家」の生まれの方々を「生まれがいい」と認識いたします。